筆者はほっこりの意味をミステイク。間違って使っていたんではないかとふと思いました。
しかし世の中自分を含め、間違って広まってそれが浸透したらなかなか治せないものです。
でも今回はこの記事を書くにあたって『ほっこりの意味』を改めて見直し、勉強し直していきたいと思います。
今まで筆者が思っていたほっこりの意味
まず今まで筆者が思っていたほっこりの意味・解釈をお伝えします。
かなり間違えた解釈もあるのですが、現在は日本語の間違った使われ方(ex.〇足をすくわれる ×足元をすくわれる)が横行していますので、寛大なお心で見ていただけたらな。と思いますのでよろしくお願いいたします。
「癒し」という意味で使っていた
「ほっこりするね」という言葉を「癒し」と同じ感覚で言ったことはないでしょうか?
筆者はよくあります。
例えば道を歩いていて、猫や散歩をしている犬を見つけた時に思います。可愛いものを見つけた時は無条件って感じです。
動物園なんかもそうです。動きがかわいかったり、遊んでいる姿を見ていると「癒される~」とか「見ているとほっこりするね」とよく発言をします。
可愛いもの以外にも、旅行先で疲れた体を癒すため温泉に入った時や、そこでおまんじゅうを食べた時も「ほっこりした」と「癒された」を混ぜて使っています。
しかし全ての「癒される」という言葉を「ほっこり」とリンクさせているわけではありません。例えばマッサージされて「癒される」とは言っても「ほっこりする」とは言わないです。
筆者にとって「癒し」と「ほっこり」の使い分けはその時のニュアンスが重要だったのだと感じています。
ほくほくしたとき
感動系の映画を見て「心がほくほくした」とか、あったかい焼き芋を食べて「口の中がほくほくしてる」など「心情の変化」と「食事」の際によく使います。
筆者は「心がほっこりした」は言いますし、「口の中がほっこりした」とも使います。もちろん冷たいものではなく、暖かいものを食べた時にその言葉を発します。
石焼き芋を食べた時に一番「ほくほく」か「ほっこり」を使うと思います。
「ほくほく」という言葉自体がすごく温かみのある言葉なので、個人的には好きな言葉ですし、愛用させていただいてます。
一休み
筆者はほっこりの意味を『一休み』の意味にとらえていました。
例えばお茶でも飲んでほっこりしたいという使い方ですね。言葉の節々で一休みと使うかほっこりと使うか曖昧になっているところがありました。
流石に喫茶店などに行くときは使いませんでした(笑)例えば『スタバに寄ってほっこりしていこう』などです。
思い返すと一休みという言葉は、お茶とお菓子が用意されている時に使ってた気がします。
またアニメ一休さんのあのCMに行く前の『ひとやすみ、ひとやすみ』という言葉を聞くとほっこりした自分がいて、ちょっとうまくは言えないですがそのシーンから「一休み」と「ほっこり」を自然とリンクさせていたのだと思います。
京ことばでは「ほっこり」の意味合いが違う!?
筆者が思っていた「ほっこり」の意味と、京都で使われている「ほっこり」の意味が少し違うようなので調べてみました。
安堵から生まれる「ほっこり」
京ことばで言う「ほっこり」というのは、見たものや食べ物に対して使うところは一緒みたいです。
しかし筆者みたいに、ただ焼き芋を食べた時や可愛いものを見ただけで言うことは、京言葉からみたら違和感を覚えてしまうと思います。
早速京都にいる友達にラインで聞いてみました。
京ことばでの「ほっこり」には「体が疲れた」「精神的に疲れた」などの前提が存在するらしいです。
私は前提が有る無しに関係なく「ほっこり」という言葉を使っていたので、このことを聞いたときはびっくりしました。
同じ言葉である「ほっこり」の違いに、「言葉って奥深いんだな」と思わされました。
『気疲れ』と同意義で使われている
家に帰って「ドッと気疲れしたー」と発言したことはありませんか?
知り合いに聞きましたが、これを京ことばでは「ほっこりしたー」と言うらしいのです。
言葉には地域性がありますが、私の周りでこの発言を聞いたことはありません。このことを知った時は驚きました。
わたしは前述したとおり「一休み」や「口の中がほくほくしたとき」などに「ほっこり」という言葉を使っています。
京都の人が他県に行くと、このほっこりの使い方に違和感を感じるとは思います。なにしろ私なんか「一休み」や「癒されてる」と感じる時に「ほっこり」と発していますから。全く逆の使い方になりますよね。
京ことばでは「気疲れ」と同意義で使っていることを、今回の記事を書くことで知ることができたのは非常に良かったと思います。
ほっこりにはこんな意味もあります
こんな「ほっこり」の意味があるんだーと思ったことをお伝えしていきます。色々調べてみましたのでぜひ覗いてみていってください。
ふくよか
ほっこりには、「ふくよかなさま」として使う場合があるそうです。
例えば、子どもなんかがほっぺたを膨らませていて、そのほっぺたが柔らかそうだと思ったとしましょう。
その時「そのほっぺたほっこりしているねー」という風に使うそうです。
また「ふくよかな匂い」という使い方もするそうです。
「優しそうなにおい」がしたときに使うので、香水や柔軟剤の甘いにおいなどが当てはまってくると考えています。
このような匂いがしたときに「ほっこりする匂い」として表現する感じです。
私が住んでいるところではあまり聞かないので、「そんな使い方もあるんだ」と驚かされました。
参照 http://dictionary.goo.ne.jp/jn/204550/meaning/m0u/
気配りの意味を自己保身のため勉強してる?ー好まれる11の気配りとはー
ほっこりの意味を調べてみて
ほっこりの意味を調べてみて、京都と私の住んでいるところでは使い方が違うことが分かり非常に勉強になりました。
京ことばで言うと、「疲れた」「気疲れ」などの前提があって初めて「ほっこり」という言葉を使うこと。
また「疲れた」その言葉自体を「ほっこり」として使っていること。これらは、筆者が今まで使っていた使い方とは異なるものでした。
特に「疲れた」と同意義で「ほっこり」を使われた場合、このことを知っているか知らないかで、返事の仕方が変わってくると思うし、下手をすると相手の機嫌を損ねてしまう場合も出てくると思います。
なので、現地の言葉の使い方をある程度は勉強していかなくていけないと感じました。
今の世の中では、間違った言葉の意味でも一度広まってしまえばそれが共通の認識として認知されてしまいます。ネットの普及が拍車をかけている感じがしますが。
時々言葉の意味を渡って、ネット上で論議されているのを見かけます。それはその言葉に「愛着」を持っているからこそだと思っています。
ほっこりという言葉でみても、「誤認している人が嫌い」などの意見を持っている人を見かけました。わたしはそこまでは思いませんでしたが、言葉に愛着を持っている人のことを考え、言葉の意味を勉強することがすごく大切だと思いました。
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まとめ
京都の人たちからすると、違和感を感じる「ほっこり」の使い方が少し理解いただけたと思います。
他にも地域によって「ほっこり」の意味が違うということがありましたら、連絡いただければ追及・追記していきたいと思います。