よく「世の中はお金じゃないんだよ」と言ってくる人がいます。それに対して賛同する人、反論する人に分かれるかと思います。
そこで今回は私が「お金がなくても幸せになれる」のか、それは正しいのか考えてみることにしました。ぜひ最後までお読みいただき、良かったらコメントを頂けると嬉しいなと思います。
たくさんお金があったら幸せを掴むのは楽なはず
単純に今私が思ったことです。「旅行に行きたい」「いい家に住みたい」「たまには豪華な食事をしたい」これらは普段から僕が思っていることです。これらを実行するためには必ずお金が必要です。これがなかったらこの三つの願望は一つも叶いません。ですので、どうしても金というものを欲しがる【欲】が生まれます。
もしも財布に無限のお札があったらと思うと、ワクワクしてしまいますよね。
お金がありすぎる人は「世の中は金じゃない」という傾向が見られる
昔、芸能人の神田うのさんが「男は金じゃない、心だ」的な感じの発言を番組でしていましたが「え?噓でしょ」と思ったことを思い出しました。でもよく考えてみたらセレブな生活をしている人にとってはお金はいつもある「当たり前のもの」であり、それ以外の人間味、温かさを求めてしまうものなのかもしれません。
でもこの人たちに「吉野家行きませんか」って言ったら「そんなところ行ったことないわ」とマジ切れされそうで怖いなとも感じます(笑)
学生時代はお金=幸せとは考えていない人が多い
若い人たちと話しているときに思うのが「お金だけじゃ幸せになれない」という意見が多いなということです。
私みたいな36のおじさんが考えると若い人たちは金より恋愛、遊び、友達大事という優先順位が付けられているのかな?と考えてしまいます。確かに私も20代前半の時はそう考えていましたから、理解はできます。でも大人になるにつれて、例えば恋愛も無一文だったら厳しい、遊びもできない、「一万円でいいから貸しほしい」とせがんでくる友達が出てきたりと、何かと厳しい現実を目の当たりにしたりしていくうちに、考え方は変わっていったように感じます。
お金だけを求める考え自体が「悪」みたいな風潮が日本にはある気がする
日本は副業を禁止している企業があります。自分の友達も「ダブルワークはダメだと会社から言われている」と話しています。しかも一人二人だけではなく多くの人が同じことを言っていました。このことからも今やっている仕事以外で稼ごうとしている人を怪しむというか「それって大丈夫なの?危なくないの?」と言ってくる人は数多くいるのです。
しかしやっとというか、ネットの普及率が上がっている今「第二の仕事」をしている人を多く見かけるようになりました。その代表的なのが「Youtuber」でしょう。私からすると彼らが出てきたことは時代の大きな変革に感じてしまうのです。
Youtuberのおかげで「副業」「お小遣い稼ぎ」が身近なものになってきた
今まで色んなサイドビジネスがあったとは言え、これほど世の中に影響を与えたビジネスはなかった気がします。それが突如現れた感がある「Youtuber」と呼ばれる人達です。ヒカキンさんをはじめ、はじめ社長などのトップYoutuber達は芸能人でも聞いてびっくりするほどの収入を得ています。
私は「稼げるという情報に人は群がる」という持論を持っていますが、まさにYoutubeが取り巻く世界はその通りだな。と思います。というのも今は新たに参戦してくる新米Youtuberが日々動画を投稿していて、互いが競い合っている戦国時代のようだと感じているからです。しかもみんな編集技術、撮影に使っている器具などがプロ顔負けだったりするので本当に凄いなと感じてしまいます。
最近は本業をやりつつ、空いた時間に動画投稿をしていると宣言している人も多いのでやはり「副業」「お小遣い稼ぎ」感覚でやられている方も多いのかな?と感じています。
Youtuberだけを見ても、お金を稼ぐことは幸せを得るために必要なのだと感じる
彼らを見ていると、やはり最終目的はお金なのかな。と感じてしまいます。「生活を楽にしたい」「楽しいと思ったことで金を得たい」とはっきり言っている人も多いし、その気持ちが毎日動画を投稿する意欲に繋がっている気がします。そういう考えの人たちが増えれば増えるほど、情報発信をすればするほど、見ている人たちの副業というもののハードルを下げ、「今の給料にプラスでサイドビジネスでいくらか稼ぎたい」と思う人が増えていっている。と考えられるのです。
それら頑張った結果が自分の欲を満たし、幸せを得れるのだなと思っています。
「お金よりも自由な時間が欲しい、それが幸せ」という人もよくよく聞いてみると・・・
「お金より自由な時間が欲しい」という人がいますが、大体がよくよく聞いてみると金が必要なことを熱弁してきます。もちろんこの事は矛盾になってくるのですが、本人はその自覚がないのです。例えば「最低賃金でいいから沖縄に住みたい」とか「離島に行って野菜を育てて暮らしたい」などです。これを読んで懸命な皆さんはどう思いましたか。私はそれ「マネー必要やん」と思わず心の中で突っ込んでしまいました。
実家暮らしから離れてしまうということは家賃、光熱費がのしかかるということです。それを給料が少ない状況で乗り切ろうというのはひねくれた私からすると到底幸せとは程遠い生活になるなと思ってしまうし「畑を作って生活をしたい」と言われても、親戚に農家がいるのでそんな気楽な暮らしはできないことを知っているので「考えが甘いな」と思ってしまうのです。まぁ友達の話なんでそんなことは直接言えなかったんですけどね。
これらの話を聞けば聞くほど、私自身は金の大切さを改めて理解するのでした。
実際に行動しようとしてない人ほど、お金と自由な時間の強い結びつきに気づきにくい傾向がある
幸せを求めての発言だというのは理解できるのですが、如何せん自分で調べたり、実行しようという気持ちが薄い場合が多いので、実際に生活をする時にかかってくるお金を計算していない場合が殆どだったりします。そのため「お金より自由な時間が欲しい」と言ってくる人にはバックボーンが薄いなと感じてしまうのです。
世間一般的に突っ込むとしたら「現実を見ろ」と言ったところでしょう。我々おじさん世代はこういう捉え方をしてしまう人は多いはずなのです。
一人暮らしを経験したことない人は、お金と幸せの結びつきに気づきにくい傾向がある
いわゆる親が衣・食・住を保証している場合には、この考えが生まれやすいと感じています。ましてやこの状況で「お小遣い」をもらっている人もいるのですから、そりゃお金に関して無頓着になりやすいと言わざるを得ません。
一人暮らしをしていると家賃や光熱費を払い続けるわけですから、給料のありがたさを人一倍理解できるし、生活をやりくりしながら、その中で幸せを探すことが可能です。その中で得たものというのは人生の中で大きな糧になっていくと思います。
もちろん親がしっかり教育をしているところであれば実家暮らしでも「金の大切さ」は理解できます。ただ賃貸で暮らしている人のほうがそういう感覚が優れている人が多いなというのが私の意見になってきます。
「お金がなくても幸せになれる」と言っている人の生活によって、全然説得力が違う
写真は私が友達とキャンプに行った時のものです。これで何を伝えたかったかというと、例えば無人島で暮らしている人や自給自足ができている人が「お金がなくても幸せになれる」と言ってきたら妙に納得できてしまいませんか。ということになります。そういう人達ってたまにテレビに出て取材とか受けてたりしますよね。
このような生活を送っている人たちは実際【金】というものを必要としない暮らしをしているわけなので、反論の余地がないのです。
多くの人たちが持っている「欲」の数が圧倒的に少ないともいえるでしょう。「ゲームが欲しい」「新しいスマホが欲しい」「オシャレな服が欲しい」など普通の人が抱く感情が彼らにとっては「取るに足らない、殆ど必要のないもの」となってくるのです。
変に人の言ったことに対して疑いの念を持ちやすい私でも、こういう立場の人から言われると納得せずにはいられなくなるのです。
お金がない生活の大変さは想像に容易い
自給自足や無人島での生活というのは、街に住んでいる人にとっては何もかも常識外れであると思います。昔テレビで見たときは雨水で飲用水を作ったり、海で歯磨きをしていた人がいました。名前は長崎真砂弓さん。かれこれ30年は暮らしていたとのこと。現在の所在は不明。病院に搬送されたというニュースもあるが真相は明らかにはなっていないようです。
でもこの人を見ても、お金の必要ない生活をしている人というのは大変珍しい部類に入るのは確かで、そんな人がいたらTV等の報道機関が取材に来るほどです。それほど、一般の人にはチャレンジしにくい内容だと言えると思います。私はそれがあるからこそ「お金より大切なものがある」と堂々言える人には「長崎さんみたいな生活できるの?」とひねくれた質問をしたくなってしまうのです。
まとめ
結果論から伝えるとやはり、その人の生活レベルによって「お金がなくても幸せになれる」と言う言葉の重みが違ってくるなと感じます。
正しい、正しくないは受け取った側の判断になってくるので、それぞれの意見があるのは致し方ないことです。でも私自身は「金がなくては生活ができない」と考えてしまいますね。
皆さんとこれを読んでどう思ったでしょうか。もしよかったらコメントお願いします。ぜひ色々な意見を聞きたいと思っています。